東亜電気工業株式会社|artron(アルトロン)|採用サイト | 山田 宣広

DISCOVER EPISODE

DISCOVER

サラリーマンは捨てろ。

山田 宣広
1989年10月 入社

INTERVIEW 01入社してから現在まで

東亜電気工業には、1989年10月に地元である静岡県浜松の営業所に中途で入社いたしました。転職前には設備の会社に勤めていましたが、営業という仕事は東亜電気工業に入社して初めての経験でした。営業所に勤務したのち、2003年12月25日に現在の中国の「蘇州拓亜電子有限公司」に出向という形で行きまして、その後、2012年3月に日本に戻り神奈川県平塚の湘南営業所に赴任して約6年。そして、この度中国蘇州に再赴任となりました。現在は、中国の「蘇州拓亜電子有限公司」で副総経理として、総経理(社長・会社の責任者)のサポートをしています。「蘇州拓亜」として過去いろいろな仕事をしてきましたが、今回の赴任では、車載部品・自動車向けの実装基板を確立して行く中で、安全面での重要部品の品質向上と量産、工場の体制も含め新たな再構築が大きなミッションです。

INTERVIEW 02中国・蘇州への赴任

東亜電気工業が中国・蘇州にSMT精密基板実装の工場を新しく建てるということで、初めての海外赴任はその工場の立ち上げの責任者として赴任しました。私が責任者で、もう一人は工場長として、日本人の駐在員2名で行きました。当時は39歳、中国語はもちろん話せず、まだ住むところも決まらないまま現地に入りました。工場の近くのホテルに滞在しながら、日本語が若干話せる現地の中国人スタッフが加わり、何事も初めてだらけで緊張しながら仕事を進めたのを覚えています。工場の立ち上げという重要な役割がありましたから、大変大きな責任を感じていました。さらに、工場の内装工事が進む中、目先にはお客様の試作が決定しており、「間に合わせなければ」という、それはもうすごいプレッシャーでしたね。言葉が話せないまま赴任したので、生活するのにも苦労しました。当時、私たちの工場付近は日本人があまり住んでいない蘇州市の「吳江」と言う地域で、日系企業も日本人も多い蘇州市中心部から南に25kmくらい離れた場所でした。中国語で話しかけられてもわからないし、土地勘もない、飲食店に入ってもメニューが読めない。買い物ひとつするにも苦労し、慣れるのには半年くらいかかったと思います。仕事面でも驚くことがたくさんあり、決して日本がスタンダードではないと実感しました。私たちは当然、日本人ですし、日本の企業で働いてきているので、中国に行っても日本の考え方を押し付けがちですが、その国々の国民性があり、文化があり、私たちと育ってきた環境も教育も違うのは当然ですので、たくさんの学びや発見がありました。

INTERVIEW 03サラリーマンは捨てろ

私が今でも大事にしているメモがあります。2003年12月25日のクリスマス、中国赴任の前に現在の重田社長(当時の本部長)から手書きでいただいたものです。一営業所の中で、一営業担当として働いていた私からすると衝撃的でした。「日本を振り返るな」「サラリーマンは捨てろ」と書かれたこのメモには「頑張ってこい、お前は社長なんだから」という熱いエールが込められていました。海外現地法人は本社からの資金で運用しているので、資金管理が非常に重要となります。その辺が国内営業所と海外現地法人との大きな違いです。だからこそ、生半可な気持ちじゃできない、頑張れ!というメッセージだったと思います。今回の赴任はもちろん、この先ずっと私はこのメモを一生大切にします。サラリーマンとして赴任はしていても、しっかり経営判断をしながら責任と覚悟を持つことが重要だと実感する大切なメッセージです。今回2度目の蘇州赴任となりましたけど、帰任した6年前とはまた違う蘇州がありますから、まだまだ乗り越えていかなくてはならない部分もあると思います。

INTERVIEW 04海外赴任で得たもの

当時、蘇州には弊社だけでなく、日系企業の駐在員は7千人ほどいたと思います。全ての人に海外赴任が合うわけではなく、当時、生活環境、習慣、食べ物など中国に馴染めない方もいらっしゃいました、「適応力」と言いますか、国内転勤と海外出向とでは全く違います。仕事以外の生活面でも対応力が必要になってきますが、若い方にもぜひ海外を経験して欲しいですね。弊社には海外現地法人が14拠点ほどあります。若いうちに行くのか、ある程度経験を積んでから行くのか、時期は別としても一度は海外に行って働き、日本に戻ってくるという経験は自分の人生にとっても、すごく大きなものになると思います。私の場合は、工場の一からの立ち上げですから、何もない状態で、内装工事の段階から立ち会うことができました。日本でサラリーマンをしている中では決して経験することのないものを39歳で経験したことは、自分にとって大きな「価値」ですね。東亜電気工業の良さは上、下に関わらず、風通しのいい会社だと思います。社長をはじめ、役員であったり、本部長であったり、入社当時の所長だったり、意見交換をする機会をよくいただきました。ある程度自分を尊重していただきながらお仕事させていただいてきました。日本で浜松営業所に入社して、商社の一営業マンが、いきなり海外に新しく建てる工場の責任者を任されるわけですから、こんな社風はなかなかないですよね。自分にとっても良い経験でしたし、私を指名してくださった現在の社長(当時の本部長)には本当にありがたく思っています。

Message to youあなたへのメッセージ
会社全体を通して風通しの良い企業、また海外、国内含め30近くの拠点があり色々なことが学べる企業です。社長以下、役員はじめ、意見を尊重していただきながら責任を持たせて仕事させてもらっているところが、私自身が長く仕事させていただいている理由だと思います。チャレンジする場を多く与えてくれる会社ですね。
東亜電気工業の行動指針5ケ条の中で、私が一番だと思うのは、お客様あっての我々ですので「顧客重視と利益追求」ですが、若い人たちに大切にして欲しいのはやはり「情熱と好奇心」ですね。情熱は必要、好奇心も必要。好奇心がないと自分が広がらないですね。私はどちらかというと、好奇心が旺盛なタイプで、海外に行ってもあれは何?ここに行ってみたい!と色々気になってしまいます。仕事以外でストレスを発散できる部分があれば良いですが、逆に会社で厳しい仕事をして、周りから色々要求されて、週末もどこにもいかず、家に帰ると一歩も出ないというタイプの方もいます。そうなると、自分も広がっていかず苦しいと思います。若い方にはいつでも「情熱と好奇心」を忘れずに、何事にも取り組んでもらいたいと思います。